◆山添拓議員/資料お配りしておりますが、自民党の西田昌司参議院議員が3日、那覇市で行われたシンポジウムで、「ひめゆりの塔」の展示を、「ひどい、歴史の書き換えだ」と述べた問題について伺います。師範学校女子部第一高等女学校の生徒は1945年3月、ひめゆり部隊として南風原町の陸軍病院に動員され、負傷兵の世話や水くみ、危険な外での遺体の埋葬まで行いました。日本軍の南部への撤退に伴い、5月には病院と共に南部へ移り、3つの壕に分かれ、医療器具も薬品もなく病院は機能を失いました。そして6月18日夜、突然、学徒隊に解散命令が出され、砲弾が飛び交う中、放り出されました。動員された生徒・教師240人のうち136人が亡くなりましたが、うち117人86%は、解散命令後に亡くなったり行方不明になったりしています。日本軍の作戦による犠牲なんですよね。ひめゆり学徒隊に象徴されるように「軍隊は住民を守らない」。それが沖縄戦の教訓です。防衛大臣、その認識をお持ちでしょうか。
(→中谷・防衛大臣)沖縄は、先の、大戦の末期においては、県民を巻き込んだ凄惨な地上戦が行われて、県民合わせて20万人もの多くの尊い命が失われました。特に南部一帯においては、多くの住民の方々が犠牲になったと認識をいたしております。沖縄県の資料によりますと、沖縄戦において、男女、中学校の生徒たちが動員をされて、その戦死者は980人にのぼると承知をいたしております。防衛大臣としましては、この筆舌に尽くしがたい困難と、癒えることのない深い悲しみ、これらを胸に刻みながら、戦争の惨禍を二度と繰り返してはならないと考えております。
◆山添拓議員/「歴史の書き換えだ」などと述べた西田議員の発言ですが、「日本軍がどんどん入ってきてひめゆり隊が死ぬことになった、そしてアメリカが入ってきて沖縄は解放された、そういう文脈で書いている」、ま、「このような記載はない」というのがひめゆり平和祈念資料館の普天間館長などの発言であり、「そもそも展示は生存者の証言や資料に基づいたもので、一方的に日米のどちらが正しい悪いという展示ではないんだ」と、こういうことも仰っております。政府としても、西田氏の発言は事実に反するものだと、こういう認識でしょうか。
(→中谷・防衛大臣)ご指摘の西田議員の発言は承知いたしておりますが、ま、個別の議員の一つひとつの発言について、防衛省として、コメントをすると、ま、いうことは、あの差し控えます。その上で申し上げれば、先ほど申し上げた通り、沖縄におきましては、先の大戦で一般住民を巻き込んだ苛烈な地上戦が行われまして、20万人もの尊い命が奪われるなど、本当に、筆舌に尽くしがたい、苦難を経験されたと認識しております。防衛大臣としては、このような沖縄の歴史をしっかり心に刻みながら、引き続き我が国の防衛を全うするとともに、沖縄の基地負担軽減に全力で取り組んでまいりたいと考えております。
◆山添拓議員/「軍隊は住民を守らない」という沖縄での、沖縄戦の教訓が、沖縄の戦後の平和教育の中でも、広く伝えられてきていると思います。大臣はそのことを認識されているでしょうか。
(→中谷・防衛大臣)はい、結果といたしましては、20万人もの多くの尊い命が沖縄の地上戦で失われたと、いうことで、非常に筆舌に尽くしがたい、苦難を経験されたと、ま、いうことにつきましては、防衛大臣としても、沖縄のこの経験、歴史、教訓、これをしっかり胸に刻みながら、引き続き我が国の防衛を全うするとともに、沖縄の基地負担軽減に全力で取り組んでまいりたいと思っております。
◆山添拓議員/ならば、「歴史の書き換えだ」などと述べた西田氏の発言は、大臣の、また、政府の認識とも違うわけですから、コメントしないなどと言わずに、それは違うと、政府とは違うと、これは仰ったほうがいいと思いますよ。(そうだ!の声)
(→中谷・防衛大臣)はい、あのま、先ほど申し上げた通りでありまして、議員の発言は承知しておりますけれども、個別の議員の一つひとつの発言について、防衛省としてコメントするということは差し控えさせていただきます。
◆山添拓議員/「一つひとつ」で済まされるような程度の発言ではないと思います。私は大臣自身についても、その認識に疑念を抱いております。大臣は沖縄戦を指揮した牛島司令官の辞世の句について、「平和を願う歌だ」と美化しております。沖縄戦は国体護持を至上命令に、本土決戦を遅らせるための捨石作戦でした。首里陥落を前に住民が避難している南部への撤退を決め、持久戦を続ける決断をしたのが牛島司令官にほかなりません。軍民混在、その南部で、おびただしい犠牲をもたらしました。ひめゆりの犠牲もこうした中で起きたものです。牛島司令官は、自決に先立って徹底抗戦を命じて、犠牲をさらに拡大させました。大臣にその認識はありますか。
(→中谷・防衛大臣)はい、沖縄戦における認識というのは、先ほどお話しした通りでありますが、あのこのご指摘のあの問題はあの、15旅団のホームページに掲載されている、当時のその臨時第一混成群の初代軍長であります桑江一等陸佐の訓示について述べたものでありまして、この訓示は、沖縄県の本土復帰に伴う部隊の発足時のものであります。そして沖縄県の発展、沖縄県民の平和な明るい生活、福祉の向上に寄与したいと、いう決意が示されておりまして、牛島司令官の辞世の句というのは、この訓示の一部を構成するものであります。ご指摘のこの軍長の答弁につきましては、この平和にかかる決意も踏まえまして、戦争の惨禍を二度と繰り返してはならないと、ま、いう考えのもとに文民統制の主体である防衛大臣として、我が国の平和の願いを述べたものでございます。
◆山添拓議員/それは到底通らないと思いますよ。私は。大臣自身の、牛島司令官がこの沖縄戦、凄惨な結果をもたらしたと、さっき大臣自身も述べられた。その結末をもたらしたこと、その責任についてですね、犠牲を拡大させた、さらに拡大させた張本人だとも言えるわけです。その認識を問いましたがお答えがありません。
西田氏は「自分たちが納得できる歴史を作らないといけない」という発言もされております。私もノーカット版、今出ておりますから拝見しましたが、そう述べています。事実を歪めて歴史を修正する姿勢は、これは大臣とも通じていると指摘せざるをえません。シンポジウムは、神社庁や神道政治連盟県本部主催のようですが、自民党県連も共催だと言いますから、自民党としての責任が問われる問題です。直ちに謝罪と撤回をするべきだと、私からも指摘をしたいと思います。
2025年5月8日【参院・外交防衛委】自民・西田昌司参院議員の「ひめゆりの塔」冒とく発言問題について
(更新日:2025年05月08日)