◆やまね/よろしくお願いいたします。子ども・生徒の人権侵害にあたるような理不尽な校則の見直しということで求めてまいりました。それで2年前ほどにも議論させていただいたんですけれども、今回改めてですね、京都市立の小中学校ですね、それから小中一貫校について、学校のホームページで公開されている校則を確認してみました。で、以前取り上げた際に、市民の方から非常に大きな反響が寄せられましたのが「登校中に買っていいのはおにぎりかパンのみ」という規定でありまして、で、これ現在ではほとんどの学校でこの規定はなくなってるんですけれども、これは教育委員会の指示で削除されているんでしょうか。いかがでしょうか。
(→関・教育相談総合センター所長)失礼いたします。校則の見直しについてですが、令和3年6月、文科省からの通知も踏まえて、本市においてもやはり時代遅れなものがないか、人権侵害に当たるものがないかということを一斉点検をしております。で、様々過去の、必要性あるいは状況、時代背景に応じて校則というのが残ってきてる部分もございましたので、今の時代に合うものについて、説明がつかないもの、あるいは具体的に「何々に限る」といったような過度な限定をしているものにつきましては、教育委員会からも指摘をした上で、これ校則については校長が定めるものですので、最後校長の判断で削除・変更しているものでございます。以上です。
◆やまね/はい、分かりました。そしたら校長の判断で最後は、ということなんですけども、現在もですね、「買い弁は基本登校前に購入すること。パンおにぎりは可」とかですね「昼食を買う場合はパンとおにぎりを原則とします」という学校がまだ残っているのは残っているので、もしそういう今おっしゃられたような観点で、教育委員会からもお話をされて校長が最後は決定されるということですけれども、もしそういうことがあるのであれば、この規定はやはりちょっと意味がよく分かりませんので、削除すべきではないかなと思います。
で、他にもですね、体操服登校とかセーター・ベストでの登校が認められていたり、「カーディガンは不可」という文言が削除されていたりですね、スポーツドリンクの持参が認められていたり、かなり以前のものと比べると改善されてるものが多くなったなということは感じました。で、ただですね、依然として多くの学校が指定しているのが「色指定」であります。防寒着・セーター・ベスト・カーディガン・肌着・靴下・ヘアピン・ヘアゴムなどでですね、共通するのが「華美でないもの」「派手でないもの」「落ち着いた色」「地味な感じの色」「目立たない色」「紺・黒・灰色」というものが大変多いわけですけども、なぜこれほどまでに色指定が必要なのか。それ以外の色が入ってしまうと子どもたちが、生徒さんたちが、何か勉強に集中できなくなるという根拠があるのか。この点はいかがでしょうか。
(→関・教育相談総合センター所長)まず校則、そもそもの意義と言います、申しますのが、校長が定めた学校教育目標、あるいは目指す子ども像の実現に向けて、必要な部分について、それを生徒の意見も踏まえながら、あるいは地域・保護者の意見も踏まえながら、一概に中学校の校則ということではなくて、自校の、〇〇中学校の生徒としてふさわしい行動、あるいは服装はどのようなものかというのを、生徒も共に考えながら、今見直すべきは見直し、新たに定めてるところは定めてるところでございます。
仰っていただきました色指定につきましては、本来規定がなくても生徒の自立的な判断、あるいは行動で問題なく学校教育活動の目標が達成できるというところもあるかもしれませんし、もし、私のもとに入ってる1つの例で申しますと、例えば保護者のほうも「子どもが欲しいと言った柄物あるいは流行りの物、それを学校用に買っていいのか、学校らしさというのを考えた時にできたら学校である程度このようなものが望ましいというのを示してほしい」という声があるのも事実でございます。そうしたこともまた生徒たちと保護者・地域の意見も踏まえながら、一緒に議論をして、どういうふうな規則・校則があるべきものなのか、どこまで生徒に実際任せるのか、これは継続して議論して考えていくべきものだというふうに考えております。以上です。
◆やまね/今仰っていただいた中で、「本来規定がなくても達成できるというところもあるかもしれない」というお話があったんですけども、実際にですね、ヘアゴム・ヘアピンについて「単色なら何色でも構わない」としてるところや、「防寒着の色や種類は指定しない」という学校もありますし、「靴下・靴の色指定はありません」という学校もありますので、私は何も別に問題ないかと思うんですけど、そういった色指定がない学校では何か問題は起こっているとか、何か報告はあるんでしょうか。
(→関・教育相談総合センター所長)ま、そうした改定が実現してる学校というのは、当然生徒もしっかりとそうした議論に参画もして、校長の判断として変えてる部分もございますので、特段そのことを理由とした問題行動、あるいは生活の乱れっていうことがあるというふうには把握はしていません。ただ、まだそうしたプロセスの過程である、あるいは議論の途中である学校があるということも一方では承知をしてるところでございます。以上です。
◆やまね/それでですね、以前議論させていただいた時の答弁で「外部から見えないもの、下着の色、こういったものは全て削除ないし見直しを進めている」というお話があったんですけれども、これ見ますとですね、未だに「肌着は白・黒・紺・グレーの肌着を着用する」などと書かれている学校が非常に多いんですけれども、これは改善されないのかということちょっとお聞きしたいのとですね。
それから以前の答弁で「肌色という部分は教育委員会として一切削除するようにと指示してる」と、こういう話もありました。で、私ちょっと気になったのがですね、「ストッキングの色は薄い茶色系、グレー系、冬季は黒タイツ着用も可」とかですね、「タイツは黒色、ストッキングはベージュ色で無地のもののみを認める」と書いてる学校があるんですよ。で、私はもう色指定そのものに大変違和感を覚えるわけですけれども、ストッキングの色を薄い茶色とかベージュ色に限定してるのがなぜなのかということなんですね。で、これ、肌色という言葉こそ使っておりませんけれども、これは皮膚の色を意識した表現ではないか。これはちょっとふさわしくないのではないかと思いましたけれども、いかがでしょうか。
(→関・教育相談総合センター所長)ストッキング、タイツ等の色に関しましては、様々なファッション性の高いもの、あるいは派手な色のものも、特に体質等にしては考えられる中で、例示として出しているものの1つでございます。で、先ほど申し上げた通り、そのどういうものを用意したらいいのか、どういうものを身につけるのが、その中学生らしさ、その学校の中学生らしいという例示として今、多くの校則の中では例示っていうことを述べているところでございます。それに限るということは何かだいぶ減ってきているところでございますし、決してその肌の色に着目した薄いベージュということではないというふうには認識をしております。ただ、頂いたご意見がそのように捉えられるという恐れがあるということで、今後引き続き学校にも情報提供しながら、より適切な表現、あるいは規定のあり方については、情報提供はしていきたいというふうに思います。以上です。
◆やまね/すいません「肌着」の色はどうなんでしょうか。その「目に見えないもの、下着の色、これはもう削除するように」というような話があったかと思うんですけども、いかがでしょう。
(→関・教育相談総合センター所長)失礼いたしました。肌着の議論につきましては、かつて大きく議論になったのは、そのいわゆる女性の下着の色まで指定するということはこれはもうありえないことだということで徹底をしております。とりわけ最近、仰っていただきました肌着として問題にしているのは、夏のカッターシャツの時に、派手な色のいわゆるTシャツのようなものが透けて見える、あるいはそれを襟元から見えるような形で、要は派手な色が見えるような着こなしということを考えていく必要があるということで、基本的には透けにくい色を、しっかりここから見えないように着こなしましょうという意図でそこを残してるところはあろうかと思います。
ただ、それに関しても、色の指定は外しながら、その着こなしというところから子どもに考えさせるというところもかなり浸透してきてますので、今まさに議論してる最中の学校が多いかというふうに思っております。以上です。
◆やまね/私はやはりその「中学生らしさ」とかって言った時に、それがなぜ「黒」とか「茶色」とか「紺色」とか「落ち着いた色」ということになってしまうのか、これは以前もお話をさせていただいたんですけど、やっぱりそれがですね、よくわからないんですよね。やっぱりこれはもうあくまで表現の自由であって、それを規制するというか、抑え込むようなことはやめるべきではないかと改めて申し上げておきたいと思います。
で、以前の論議でも今言っていただいた中でもですね、「社会通念上合理性が認められないと思われるけれども経過があったり、あるいは子どもたち・生徒たちへの議論を促したいものについては、生徒会を中心に行う活動として議論を促してる」という答弁もありましたので、そこでですね、「生徒主体の見直し」の実態がどうなってるかってのをちょっと聞きたいんですけれども。
今回私は生徒会活動されている中学生の方から直接お話を聞く機会がありまして、こう言っておられました。「短い昼休み時間にご飯を食べる時間も犠牲にして生徒会メンバーで何度も集まり議論を重ねた」と。で、「生徒側はみんな賛成していたのに、結局校則見直しが実現しなかった」ということなんですね。で、どういう中身をじゃあ相談してたの?と聞くとですね、「セーター登校を認めるかどうか」「靴下に入れるラインは1つにするのか2つにするのか」「ハンディファンの持ち込みを認めるかどうか」など、極めて些細な、当たり前の話だなというようなことを感じたんですけども。こうした中身がなぜ実現しないのかですね。で、確認したいのは、「生徒主体の見直し」と言いながら、実際には大人の側の、あるいは学校側の都合でそれをストップさせているという場合があるのではないかと。職員会議や学校側の意見でですね、見直しをしないという事例もあるということなんでしょうか。いかがでしょうか。
(→関・教育相談総合センター所長)今ご紹介いただきました事例が、ま、どの学校の、どのような場面でのやり取りかというところはちょっと承知をしていないところでございますけれども、冒頭申し上げました通り、まず校則というのは、校長が「学校教育目標の実現に向けて必要な社会的合理性のある範囲で定めるもの」というところでございます。ただ、それを一方的に、不断の見直しもなく、漫然と定めるのではなくて、きちっと生徒の声、保護者の声、地域の声も聞いて、で、それで最終判断するのは校長となります。ただ、新しく、生徒指導の方針で示されてる「生徒指導提要」というものを改定されまして、その中では、「子ども・生徒たちにきちっと説明ができないようなことについてはやはり見直しを加速する必要がある」というのも触れられてるところでございますし、今の事例がどういったところを、ま、どういったところがそのネックになって今年度実現しなかったのか、あるいは次年度に向けて継続議論になっているのか、その辺の説明が誰がどのようにしたのか、これはちょっと具体が分かりませんけれども、大事なのはそのしっかりと議論をして、子どもたちが望んだことをあえて見送るのであれば、その理由とあるいはねらい、目指すところ、その辺りはきちっと説明すべきかなというふうに考えてるところでございます。
◆やまね/ま、つまり、きちんと説明できないとダメだということですよね。その場合はね。それで多くの学校のホームページで校則と共にその「校則の見直しサイクル」という文書も公開をされておりまして、で、例えばある学校ではですね、「校則の改定手続きについては生徒会会則に準ずる」として、生徒会の会則を引用して紹介してると。で、そこにはですね、「生徒総会は全会員を持って構成する本会の最高議決機関であり、最重要事項の決定を行います」と。「会則の改廃は生徒総会での過半数の同意を必要とします」としておりまして、これ読んだ際に、私はこの学校は非常に生徒主体の見直しというか、そういうことが貫かれているなと思ったんですけども。
一方でですね、こういう学校もありましてね、「決まりの改正は生徒総会の1/2以上の賛成による議決で発議され、職員会議の承認を得ることで成立する」と。で、「職員会議は生徒総会の発議によらずしてもこの決まりを改正することができる」ということで、職員会議の決定がもう明確に優位に位置付けられている学校もあります。で、多くの学校ではですね、職員会議での承認などが前提になっていたり、中には生徒会本部・教員・PTAの代表者での検討会、で、先ほど言われた学校長による決定ということを書いてある学校もありまして、で、私はこれではですね、先ほど「納得のいく説明が大事だ」ってことをおっしゃったんだけれども、いくら生徒主体の見直しと言っても、結局実態はそうならないんじゃないか。で、学校によってかなりスタートラインが違うことになってるんじゃないか。これは生徒の皆さんから見ればフェアではないというふうに思われるんじゃないかと思ったんですが、その点はいかがでしょうか。
(→稲田・指導部長)はい、私は元々学校現場でちょっと管理職もしておりまして、今仰ったようにね、生徒総会、それから職員会議との関連性、あまりそこを事細かく読んでっていうようなことは現実あまりできてないところは実態はあると思います。ただね、最近情報化なってます、よく聞きますけど、「生徒会サミット」であるとか、中学校で言うとね。あと生徒会サミットあるとか、「全市生徒会議」とかですね、生徒会の代表が集まってきて情報共有をする。合わせて中学校でやるとね、支部ごと行政ごとに支部の生徒会が集まって生徒、校則について話し合おうとかね、そういった形でどんどんどんどんオープンになって、横の繋がりが出てるわけですね。そういった中でこう話し合うことによって、ああそういうこともされてるんだ、こういうこともされてるんだていう情報が共有されてるっていう実態がここもう5~6年続いてると思います。いい意味での情報共有ですね。合わせて小学生のレベルでも「みやこキッズ会議」とかっていうて、小学校の児童会の中でそういうことも話し合おう、で、続いて小学校と中学校の生徒会でもそういったことを話し合っていこうというなことがされています。
でね、よく校長先生が最後決定するんだって言うんですけど、実際はね、校長1人で決めてるというよりは、いろんな意見を聞いて、本当に今何が必要なのかっていうのを厳選しながら考えてるっていう実態があります。で、総じて言いますと、昔のような校則で管理をしてるというよりは、民主的に子どもたちが主体的に、また、そこに保護者の意見、地域の意見、そういったことも入りながら、だんだんだんだん改善されてるっていう実態はあるのかなという、というのはいろんな現場の校長先生からも聞いてますし、ただ、文章として言葉のあちこちにちょっと昔のと言いますか、あまり民主的ではない事柄も残ってるっていうのは実態です。ただ、方向としては正しいほうに向いていってるなていうのをすご感じてますので、その辺はちょっと理解していただければというふうに思います。
◆やまね/はい、今仰っていただいたように、民主的に議論していくっていうことは最も大事なことだというふうに思います。で、先ほど紹介した生徒会活動頑張ってこられた生徒さんはですね、自分たちがまさにそうやって「一生懸命議論してきたことが何だったのか」と、「疲労感だけが残った」っていうふうに仰ってたんですね。ですから、今のお話からすると全くその学校ではそういうことにならなかったと。で、私は「生徒主体の見直し」ということであれば、やはり生徒が議論を積み重ねて出した結論というのは、最大限尊重しなければならないのではないかと思います。で、私はこういう実態があるからこそ、理不尽な校則はまず大人の側でリセットすべきだと。で、社会通念上理解されない、生徒の人権侵害するような規定は今すぐなくすべきだということを言ってきたつもりなんですね。で、そこがやはりスタートラインじゃないのかと。で、その上で自分たちの学校でどういうルール作っていくのか、自主的に議論して民主的に議論して決めていくっていうのは大いにあると思うんですけれども、結局「生徒主体」という言葉でですね、この校則見直しの責任を子どもたちに転嫁するようなことがあってはならないと思いますし、そのことが学校や教育委員会の姿勢として今問われてるのではないかなと、最後に申し上げて終わります。以上です。
2025年3月17日【文教はぐくみ委】教育委員会/一般質問「理不尽な校則の見直しを」
(更新日:2025年03月17日)