京都市の資料でも「東吉祥院公園」が「スポーツのできる都市公園」であることは明らか(2024年2月21日/文教はぐくみ委・文化市民局・やまね)

◆やまね/12月の当委員会で東吉祥院公園についていくつか確認した。「都市公園法上の住区基幹公園の近隣公園という位置付け」「文化市民局が所管することになった経緯は、運動ができる公園として開設されたため」「所管局としての権限は、土地に関する各種手続きなどの事務的な権限」「給食センター整備用地として教育委員会に権限を移管しているところ。12月1日付で所管変えを済ませた」などの答弁。その後の確認で、11月30日付で都市公園としては「廃止」されていると聞いている。11月22日に教育委員会がおこなった住民説明会ではたくさんの疑問・質問も出ていた中で、あまりに早い動きに驚いた。11月22日の住民説明会後、公園の廃止手続(廃止起案、告示など)はどの部署がいつおこなったのか。

(→平松・市民スポーツ振興室長)東吉祥院公園の廃止手続きについて。11月22日に住民説明会を開催し、11月24日、公園廃止の告示の決裁を起案、同日決定。これは私ども文化市民局・市民スポーツ振興室起案で、決定者は文化市民局・市民スポーツ振興室長。そのうえで11月29日付で公園廃止の告示。11月30日もって公園廃止。12月1日に所管変えという手続きを踏んでいる。

◆やまね/今のお答えだと、11月22日の説明会は教育委員会がおこなったが、廃止手続きは文化市民局スポーツ振興室がおこなったとのこと。つまり「教育委員会には東吉祥院公園を廃止する権限はない」ということでよいか。

(→平松・市民スポーツ振興室長)事務的な権限については、その当該地を所管していた文化市民局が持っていたので、そういった事務手続きについては文化市民局のほうでおこなったというもの。

◆やまね/「事務手続き」ということだが、教育委員会が「廃止したい」と思って、教育委員会の手続きによって、この東吉祥院公園を廃止することはできたのか、できないのか。

(→平松・市民スポーツ振興室長)教育委員会については、説明会を主体になってやっていただいたが、当然事前に関係部署が十分に議論し、京都市を代表しやったもの。ただ、この手続きについては、申し上げた通り、文化市民局の権限でおこなうものなので、手続きについてはそれに従って文化市民局でおこなったもの。

◆やまね/それでは、廃止手続をおこなった文化市民局は、公園廃止の法的根拠についてはどのようにお考えか?

(→平松・市民スポーツ振興室長)都市公園法に基づき、「代替公園を確保する」ことをもって、廃止ができるということで、それに従って手続きを進めたところ。

◆やまね/都市公園法第16条に書いてあるのは「みだりに都市公園を廃止してはならない」ということ。それが趣旨である。例外として「公益上特別の必要がある場合」や「廃止される都市公園に代わるべき都市公園が設置される場合」などが書かれている。今回の廃止理由は「代替公園の確保」なので、「公益上特別の必要がある場合」ということではない。ここが非常に重要なところ。それでは「代替公園」とは、何をもって「代替」というのか。問われるのは公園面積だけか。「近隣公園」という公園の種類は問われないのか。文化市民局が担当する理由は「運動ができる公園だから」であるが、公園の「機能」は問われないのか。この点はいかがか。

(→平松・市民スポーツ振興室長)都市公園法上は、面積と、用途と言うか、その公園の位置付けのみなので、運動公園であるかどうかということ以前に、住区基幹公園であるかどうかということが問われる。

◆やまね/「運動公園以前に住区基幹公園」ということは「近隣公園」ということが問われるということ。非常に重要な答弁だったと思う。

京都市の「事務分掌条例」「事務分掌規則」によれば、スポーツ施設や公園に関することは文化市民局や建設局の担当。そして文科省HPでも紹介されているが、教育委員会は市長部局とは独立した「行政委員会」の一つ。それは「執行機関多元主義」ということで、「機関への権力の集中を排除し、行政運営の公正妥当を期する」「それぞれの機関の目的に応じ、行政の中立的な運営を確保する」「政治的中立性を確保する事例:教育委員会、公安委員会、選挙管理委員会」…こういう説明がされている。こういう考えのもと、首長から独立した地位・権限を有する委員会として設置されているのが教育委員会。この点で、昨年11月22日の住民説明会について、京都市とは別組織の教育委員会が京都市を代表していること、権限を持たないはずの「都市公園の廃止」について説明したのは問題だ。しかもその場に、手続きを進める権限を持っている文化市民局も建設局も同席さえしていない。地方自治法・市条例・市規則に照らしても、その進め方に重大な疑義がある。時間の関係でこの点の答弁は求めないが。

次に、東吉祥院公園がどういう歴史的経過を持っているかについて。12月5日の当委員会で要求し「東吉祥院公園の暫定利用を認めたことがわかる資料」を出していただいた。これを見ると「昭和52年3月31日付」の「公園施設占有許可申請書」ということで、当時の教育長が市長宛に提出したもの。「下記のとおり、公園施設を使用したいので許可下さるよう申請します」として、公園名称「東吉祥院運動公園」、面積「10125㎡」などの記載がある。申請書には、使用期間について「昭和52年4月1日~昭和57年3月31日」とある。5年間。そこで聞くが、①今回の資料はかなり古いものだが、どの部署で保存されていたものか。②昭和38年の塔南高校開設以来、今回の資料のように、歴代の教育長が5年ごとに申請書を出し、市の担当局が許可を出していたのか。今回提出された書類以外にも、過去の占有許可申請書および許可証は残っているのか。もし残っていればこれも資料提出を。

(→平松・市民スポーツ振興室長)①本資料は文化市民局と教育委員会双方で保管をしていた。同じものを保存していた。

②資料は残念ながら38年当初の分はなかった。残っていたのはお出しした昭和52年3月31日付で、この資料を見ると、おそらく過去5年ごとに同様の手続きを継続してきたのかなということが推察される。そして、このお渡しした資料にも付けているが、同時に、当時の教育長から「事情を踏まえて、今後については同様のお取りはからいをお願いしたい」という旨の申入書を提出されているということで、おそらくだが、これをもって、その後の行政内部の手続きについては省略をしたのではないかなというふうに思っている。これ以降の書類についても残ってはいない。申し訳ない。

◆やまね/そうすると、以前のものもなく、これだけが残っていたということ。それ以後のものも残っていないということなので、昭和57年以降はこの文書をもってそれがずっと続いてたとのこと。

資料の中には、当時の教育長が文化観光局長に宛てた文書も。「教育委員会では現在、運動公園を借用している学校の運動場確保等の問題解決のため努力を重ねておりますが、学校の近辺に適地がなく、また、市周辺部における児童・生徒の急増に伴う、学校新設等が急がれ予算的にも用地確保は困難なのが現状です」「貴局におかれましては、このような実情をご配慮いただき、運動公園の使用について今後共よろしくおとり計らい下さるようお願い致します」とある。実情が伝わってくる内容。そして、京都市側が作ったと思われる東吉祥院運動公園を占有する「許可の条件」が5点書かれた文書も提出いただいた。「許可の条件」とはどういうものか。全て読み上げていただけるか。

(→平松・市民スポーツ振興室長)お出しした資料に書かれてある通りだが、「許可の条件」は「1.専用期間中公園施設の維持管理及び整備並びに運営については、教育委員会又は学校長を管理責任者とする」「2.占用物件については、常に善良な管理をし、公園施設が荒廃することのないよう万全を期すこと」「3.占用面積を厳守すること」「4.有料運動公園として一般に供用していた施設であるので市民体育振興のため社会体育の場として、毎月2回(日曜日または休日)開放することとし、その際の使用承認については、学校長が使用者に対して承認をするものとする」「5.その他、京都市都市公園条例並びに同施行規則を守ること」、以上。

◆やまね/非常に重要な資料だ。今もあったように「公園施設が荒廃することのないように万全を」と書いてある。「運動公園として一般に供用していた施設だから市民体育振興、社会体育の場として月2回は開放しなさい」とある。まぎれもなく「都市公園」「運動公園」として使われてきたことの証だと思う。この点で、月2回開放していた記録・資料は残っていないのか。

(→平松・市民スポーツ振興室長)これに関しても私どもいろいろ調べたが、残念ながら残っていない。

◆やまね/今回の資料に示されているのは、東吉祥院公園が、塔南高校が開校した昭和38年以降、何の文書・記録も残らないまま、ずっと「暫定利用」で曖昧な形で続いてきたということではなく、期限を区切って占用許可申請書が出されていたということ。京都市当局も運動公園としての位置づけを非常に大切に考えておられたということが分かる、明確にその認識を持っていたということが示されている。やはり塔南高校のグラウンドとしての使用が終わったならば、それは都市公園「東吉祥院公園」として再出発しなければならない場所ではないか。少なくとも、この資料の存在はこれまでの住民説明会等でも議会でも全く分からなかった。要求資料を私が求めて、みなさんが探していただいて、ようやく経過がはっきり分かったわけだが、改めてこの中身を、周辺住民・市民のみなさん、スポーツ関係者のみなさんにきちんと説明し直していただきたい。それもせずに廃止するなど許されないと言っておきたい。

私も市民のみなさんからよく言われるのは「京都市はボール遊びができる公園が少ない」「子どもたちをどこで遊ばせたらいいのか」との声。その公園について京都市は、平成22年(2010年)3月に策定された「京都市緑の基本計画」で「平成37年(令和7年)まで」を計画年次とし、「市民1人当たりの公園面積10㎡」という目標を掲げた。その第1次推進プランでは「平成27(2015)年度末に市民1人当たりの公園面積を5.35㎡にする」としたが、目標は「未達成」。そこで確認したい。京都市が目標を持っている「1人当たりの公園面積」には、文化市民局の所管する運動公園も含まれるのか。

(→平松・市民スポーツ振興室長)はい、お察しの通り、文化市民局所管の公園についても、この公園面積にはカウントされている。

◆やまね/「カウントされている」とのこと。それでは、東吉祥院公園は11月30日で廃止されたとのことだが、この面積(約1万㎡)は、これまで京都市の公園面積に含まれていたのか。

(→平松・市民スポーツ振興室長)当然「都市公園」の位置付けだったので、入っていたものと認識している。

◆やまね/「入っていた」ということなので、これは、ただでさえ少ない京都市の公園面積を、今回1万㎡減らしたということ。これは重大なことだ。

2月8日のまちづくり委で我が党の平井議員が指摘したが、2013年の「都市計画公園・緑地の見直し」時の資料で、東吉祥院公園(当時2.9ha→1haに変更)を京都市がどういう評価をしているか。「公園・緑地の配置等の状況は、誘致圏域内において(中略)近隣公園の適正配置の観点から、充足していないと判断する」と、こういう評価である。京都市が持つ公園面積の目標からいっても、配置状況の認識からいっても、この間のスポーツ関係者の陳情内容からいっても、スポーツ施設、運動のできる公園が、京都市内に、この地域に、まだまだ少ないということは明らかだと思う。

東吉祥院公園を廃止するため「代替公園を確保」と、京都市はずっと説明しているが、ただ、その「代替」となる公園の場所がどこかと言えば、一部は遠く離れた伏見区にある。しかも、先ほど位置付けとしては「近隣公園」という機能が大事なんだという趣旨のことをおっしゃったと思うが、「近隣公園」というのは周辺にお住まいの方のための公園だから、伏見区なんかにそんなものつくったって、代替になるのかということになる。しかも球技をしたり広域避難場所という機能ももった公園だったので、それを代替するものにもなっていない。だからそもそも、都市公園法上の廃止の要件を満たしていないのではないか。このことを指摘せざるをえない。今回、文化市民局がスポーツのできる都市公園の廃止手続きを進めたことは大きな問題がある。間違いである。もう一度これは立ち返って検討し直すべきであることを強く求め、指摘をして終わる。

2024年2月21日【文教はぐくみ委】文化市民局/一般質問「東吉祥院公園の廃止について」

(更新日:2024年02月21日)